大規模言語モデルの最大のブレイクスルーは何だったのか、と考えると、突き詰めれば「知能の大半は、実は言語だった」という発見に行き着くと思っています。言葉の解釈をひたすらやらせてみたら、それだけでほぼ知能と呼べるものになってしまった、というのが正直な驚きです。
言語化できなければ、考えたことにならない
何かを知りたい、考えたいと思ったとき、人は結局のところ言語化しないと前に進めません。そして、言語化する訓練として一番手軽で効くのが、日記だと思っています。
言語能力がない人は、AIにただ養分を吸われるだけ
そもそも、AIと対話するにも言語能力が必要です。AIを使ったからといって、アホが天才になれるわけではありません。言語能力が乏しいまま使えば、無駄にトークンを消費させられて金を吸い取られる、養分にしかならないというのが実態だと思っています。まず鍛えるべきは、AIの使い方ではなく、自分の言語能力そのものです。
日記に、特別なネタはいらない
日記というと身構える人もいますが、何か特別なことを書く必要はありません。日々とんでもない量をこなしているサラリーマンの日常でも、バス運転士や電車運転士の日常でも構いません。どんなに地味なテーマでも、それをマニアックに追いかけたい人は一定数必ず存在します。続けてさえいれば、向こうから見つけてくれるものです。
自分自身も、アウトドアが趣味で、アフィリエイト目的も兼ねてブログを書いています。自分にとっては何でもないと思っていることが、実は誰かにとっての宝の山だったりします。文字が苦手なら、映像でVlogにしても構いません。続けていれば、狙っていなくてもふと面白い出来事が起きるもので、そうなればそのネタを何度でも擦り倒せばいい。続けている限り、ネタに困ることはまずありません。
誰でもできるのに、続けられない
結局のところ、以前このブログでも触れた田中修治さんの「知ってる・できる・やってる」の話に帰着する気がします。日記を書くこと自体は、誰でも知っているし、できることです。それでも、実際にやり続けている人はほとんどいません。
ちなみに、その記事をAIにそのまま書かせて満足している人がいたら、それはもう養分になっている真っ最中です。少なくとも自分の言葉で、自分の日記を書いてから出直してください。
