牛尾剛さんの『部下としてのAI 世界一流エンジニアの進化術』を読みました。タイトルにある「部下としてのAI」という表現が、この本の内容をよく言い表していると思います。
優秀だが、かなり厄介な部下
生成AIは、検索ツールや便利な道具というより、一緒に仕事を進めるメンバーになりつつあります。しかも非常に優秀で、驚くほど速く仕事をこなします。ただし、この部下はなかなか厄介です。平気で間違えるし、こちらの意図を勝手に補完するし、どれだけ間違っても責任は取ってくれません。普通の会社なら始末書ものですが、AIに始末書を書かせても、それらしい文面をそれっぽく生成してくるだけです。だからこそ、AIを使いこなすには、人間の側がちゃんと「上司」にならなければなりません。何をするのかを決め、仕事を分解し、必要な情報を渡し、途中で確認し、出来上がった成果物を評価する。これはもう単なる「AI操作」ではなく、かなりマネジメントに近い作業だと思います。
「作るための知識」から「評価するための知識」へ
本書はコードリーディングやテスト駆動開発、SREなど技術的な内容も多く出てきますが、本当に面白いのはその先の話です。AIによって「作業する能力」の価値が相対的に下がる一方、「何をするべきかを決める能力」の重要性は上がっていきます。AIがコードを書けても、設計が正しいかどうかは誰かが判断しなければなりません。AIが文章を書けても、内容が正しいか、論理が飛んでいないかは、人間が見る必要があります。つまりAI時代には専門知識が不要になるのではなく、その役割そのものが「作るための知識」から「AIが作ったものを評価するための知識」へと変わっていくのだと思います。
AIを正しくするより、間違っても事故にならない仕組みを
もう一つ印象に残ったのが「失敗を自動化する」という考え方です。AIに間違えないことを期待するのではなく、間違ったときに発見できる仕組みを作る。ソフトウェア開発ならテストやレビュー、文章なら出典確認やファクトチェックがそれにあたります。AIを正しくしようとするのではなく、AIが間違っても事故にならない仕組みを作る。これからのAI活用において、非常に重要な考え方だと思いました。
問われるのは、プロンプトの小技ではない
AIがさらに優秀になるにつれ、人間の仕事は「自分で作業すること」から「AIに仕事をさせること」へ変わっていきます。そのとき問われるのは、目的を決める力、仕事を分解する力、成果物を評価する力、そして「そもそもその仕事をやる必要があるのか」を判断する力です。AI時代に価値が残るのは、答えを出せる人より、出てきた答えが正しいか判断できる人なのかもしれません。
『部下としてのAI』は、AIを楽に使う方法を教える本というより、AIが当たり前になった世界で人間がどんな役割を担うのかを考えさせる本でした。AIを部下にするには、こちらもちゃんと上司にならなければなりません。なかなか大変な時代になったものです。
ちなみに、AIという部下は、間違えてもふてくされないし、有給も欲しがらないし、飲み会にも誘ってきません。正直、人間の部下より扱いやすい瞬間すらあります。上司としての力量が本当に試されているのは、案外AIより人間の部下の方だったりして。
