勉強しないことの代償は、何でしょうか。そう考えていたときに、北野武さんの言葉として、こんなものを目にしました。
勉強するから、何をしたいかわかる。
勉強しないから、何をしたいかわからない。
正確な言い回しまでは確認できていませんが、趣旨としては、こういう内容だったと記憶しています。
「やりたいこと」は、知らないものからは選べない
勉強しないことの代償は、点数や資格といった、目に見えるものだけではありません。もっと大きいのは、「やりたいこと」の選択肢そのものが、狭くなることだと思います。人は、知らないものを、やりたいとは思えません。世の中にどんな仕事があり、どんな考え方があり、どんな可能性があるのかを知らなければ、「何をしたいか」を考える材料が、そもそも手元にないのです。
「やりたいことが見つからない」と悩む人は、多いと思います。でも、それは、探し方が悪いのではなく、まだ、材料が足りていないだけなのかもしれません。見つけるために、まず、知る。知るために、勉強する。順番としては、そうなのだと思います。
学ぶことは、道を選び直すための手がかり
もう一つ、この言葉が示しているのは、勉強が「いまの道を進むため」だけのものではない、ということです。学ぶことは、自分の道を選び直すための手がかりを持つことでもあります。手がかりがあれば、いまの道を続けるにしても、別の道に変えるにしても、納得して選べます。何も知らないまま、流されて続けるのと、知ったうえで、自分で選んで続けるのとでは、同じ道でも、まったく違うものになるはずです。
『論語』にも、「学びて時にこれを習う、また説ばしからずや」という言葉があります。学んで、それを繰り返し身につけていくことは、なんと楽しいことではないか、という意味です。勉強は、本来、苦行ではなく、楽しみなのだ、ということなのでしょう。
ちなみに、私が勉強しない日に、はっきり分かる「やりたいこと」は、「今日の晩ごはんを何にするか」だけです。しかも、たいてい、ラーメンです。勉強しないと、やりたいことが、ここまで一点に絞られるのかと、我ながら感心しています。
