他責思考の人が報われることは、永遠にないと思っています。
すべて誰かのせい、という思考
「能力を発揮できないのは、環境が悪いからだ」「この仕事は、自分がやるべきレベルの仕事じゃない」「自分は頑張っているのに、あの人が足を引っ張っている」「すべてはあなたの責任です」。こういう言葉を、口癖のように使う人がいます。
自責思考の人は、何をしているか
一方で、同じ環境にいても、結果を出す人は必ずいます。そういう人たちは、うまくいかない理由を環境や誰かのせいにする前に、まず自分に変えられる部分を探しています。同じ状況でも結果が分かれるのは、能力の差である以上に、この姿勢の差なのだと思っています。サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」という言葉を残したそうですが、自由であるということは、裏を返せば、結果の責任からも逃げられないということなのだと思います。
情に訴える交渉も、根っこは同じ
似たような構造で、情に訴えかけてくる交渉もあるようです。「子どもの教育費が・・」「家のローンが・・」「車もぼろくなってきて・・」。
世の中には奨学金という制度もありますし、そもそも持ち家に住むことが誰かにとってのステータスなわけでもありません。壊れたものがあるなら、修理すればいいだけの話です。正直に言えば、それは会社の知ったことではありません。生活費がかかることと、給料が上がることの間に、本来なんの因果関係もありません。査定で見られているのは、生活の事情ではなく、本人の姿勢であり生み出した成果のはずです。
給料が上がらないのは、単純にあなたに、その金額を払うだけの価値がまだ無いからです。
飲み屋で愚痴る前に、家で勉強しろ
こういうことを仲間内で、飲み屋で延々とくっちゃべっている人を見ると、正直、さっさと家に帰って勉強したらどうかと思ってしまいます。
いつまでも、こういう人の雇用が無条件に守られる時代は、もう終わると思います。
自分にも、他責の芽がないか
正直、自分にも、うまくいかないことを何かのせいにしたくなる瞬間はあります。人間ですから。大事なのは、それをゼロにすることではなく、そう思った瞬間に気づけるかどうかだと思っています。「これは環境のせいか、それとも自分にできることがまだあるのか」と、一度立ち止まって考える。その一手間があるかないかで、長い目で見たときの成長速度は、大きく変わってくるはずです。
もし、こういうタイプの人が身近にいたら、私ならすぐに転職を勧めます。そこで一度、痛い目を見て気づきを得た方が、本人のためになるのではないかと思うからです。
ただし、転職した先でもまた「環境が悪い」と言い出したら、それはもう才能だと思います。
