2 月 2012
« 9 月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829  

カテゴリー

セミナーについての雑感

朝、ズボンをはこうと前かがみになったらパンツが破れたbuhioですけど、何か問題でも?

先日、とあるセミナーに参加してみた。

あまり期待はしていなかったものの、既知の内容オンパレードで、ある意味期待通りとも言える内容だ。僕の場合は、何かに困って何かを得ようとセミナー参加しているわけではないので、講義の内容など別にどうでもいいのだが。

いきなり話しが脱線するが、ちまたではありとあらゆる内容のセミナーが数多く開催されている様だが、このくそ暑い中わざわざ会場に出向いてまで受講するほどの価値ある内容のものなど、皆無に等しいのではないかと思える。

こんなことを言ってしまっては元も子もないのだが、本当に知識をえたいのであれば書籍を手にすることに勝る方法はないと思う。セミナー形式の場合、参加者は背景はバラバラだし、参加している人のレベルもまちまちだし、どうしても当たり障りのない広範囲な浅い情報になりがちだ。セミナーは決してコストパフォーマンスの良い方法とは思えない。この方法を選択している時点で社会の負け組と言ってもよいだろう。本当に学習する術を持ち合わせている人なら、貴重な時間を費やしてまで安易に参加はしないだろう。同じ時間に同じ場所に居たとしても、おそらく立ち位置は壇上であろう。

と、いきなり扱き下ろしておいて、お前は何しにセミナーに参加しとんねんと言うことになろうかと思うが。
僕の場合、大抵のセミナーに於いては、はなっから講義内容になど微塵の興味もない。かと言って、その場でビジネスチャンスを..などと言う考えも毛頭ない。そもそも見ず知らずの人といきなり仕事の話をすること自体が気持ち悪いと思っている。

私の興味の矛先は参加者の人間模様、何を悩み、何をこの場に期待し、汗だくになりながら此処まで足を運んでいるのか?といったことに、空調の行き届いた部屋で思いを馳せることにある。まず最初に配られるテキストには目を通すものの、余程の興味をひく箇所以外は、講師の喋る内容など上の空状態で、ひらすら人間ウォッチングに徹するのだ。

ディスカッションの時間を設けているセミナーであれば、単なるウォッチングにとどまらず、他の参加者と直接会話することができるので、自身の目的の成果はかなりの精度で得られることになる。先日参加したセミナーは、トータル2時間の内容だったのだが、参加者同士のディスカッションに割り当てられた時間は約20分くらいで、かなり満足のいく結果となった。

このセミナーも然り、過去の経験上もそうなのだが、参加者の多くは目的意識が非常に曖昧だということが言える。また、何かにつけて非常に受身であるということも言える。学び取る意識が非常に低く、この場に足を運べば何か教えてくれるだろうオーラが満開なのだ。講師が「4人1組みになって、○○についてディスカッションしてみてください」と言われても、名前と簡単な仕事内容は名乗るものの、それ以降の会話が続かない。「いやー難しいですね・・」を連呼するばかりだ。

「だから、あんた此処に居るんだよ。」とは口が裂けても言えないが、目的意識がハッキリとしている人というのはホント少数なのが実情の様である。こういった気持ちで参加してる様では、何も身に付かないのは言うまでもなく、講義内容の忘却率もエビングハウスの忘却曲線どころの騒ぎではないだろう。

学ぶ目的、行動の目的、もっと言えば生きる目的を常々しっかりと持ちたいものである。このままいくと取り留めなく続きそうなので、人の振り見て我が振り直せ、という所に落としたいと思う。

人気ブログランキング

変えられるもの、変えられないもの

なにげに昔に参加した船井総研のセミナーのことを思い出した。残念ながら何のセミナーだったかまでは思い出せないでいる。何故突然こんなことを思い出したのかというと、モチベーションを維持するには(あるいは低下させないためには)どうすればいいか?ということについて、情報をあさっていて思い出したのだ。
確か、そのセミナーでは、言い回しは別として
1.変えられる(可能性のある)のは自分であり、未来である。

2.変えられない(可能性はゼロまたは限りなくゼロに近い)は過去であり、他人である。
的なことを聞いた記憶がある。今振り返ってみても「なるほどな」なんだけれど、よくよく考えてみると、普段から上記二つのいずれかへの分類によって、行動の意思決定をしているのではないかということに改めて気付かされる。また、それがモチベーションともリンクしている。
言い換えると、人は(少なくとも自分は)、変えられる可能性のあるものに興味を抱く。興味のあることをするから、それに没頭できる。没頭している間はモチベーションも高い。逆に、変えられそうにない事柄に直面すると、おのずとモチベーションは下がる。多少の壁であれば、反骨精神もわき出る可能性があろうが、その壁が圧倒的であれば、その可能性は著しく低い。ということだ。
面白いもので、つきのない人や、あまり芳しい状況下におかれていない人達は、その原因を自分以外に求める人が多い。たとえば、国が悪い、官僚が悪い、政治家が悪い、景気が低迷しているから、業界が悪い、先生が悪い、親が悪い、あいつが悪い、などなど。これは、上記のパターン2に該当するものに矛先が向いている状態であって、こんなことを言ったところで何も始まらない。目を向けるべきはパターン1である。自分ならどうできるのか?これから何をやっていくべきなのか?を考えるべきである。
一流のスポーツ選手、あるいは世間で成功者として認められる様な人の共通点として、彼ら・彼女らの最高のライバルは自分自身だということだ。つまりは、如何に自分が変われるか?ということなんじゃないだろうか。決して、他人に興味を持つなとか、他人をライバル視するなということを言っているのではない。変えやすいものに目を向ける、すなわち自分なわけなのだが、そうする方が生産的だということだ。だって自分が行動に移せばいいだけなんだから。
などと自分に言って聞かせてみたりする。

 人気ブログランキング応援お願いします。