7 月 2008
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コンサルタントという言葉の響きと現実

世の中にはコンサルタントという肩書きをもった方々が沢山存在する。

独断と偏見のみでモノ言わせてもらうと、その大半は自称コンサルタントだろう。自分の数少ない人生経験の中で、コンサルタントと自称(あえてこう書く)している人には何人も出会ってはきたが、その大半いや限りなく全員の、その仕事ぶりたるや、所属企業の教えの受け売りその物であったり、自分の知識に自己陶酔しているだけといった様な人達ばかりだった。

■コンサルタントが語るのは虚構
自分が身をおくIT業界にも、ITコンサルタントや業務コンサルタント、最近ではプロセス・コンサルタントと名乗るコンサルタントが多く存在する。僕が過去に仕事でご一緒した方々や、深い関わりはなくとも何らかの接点をもった方々に対する率直な印象としては、彼らが売っているのは「虚構」であり「幻想」であるということ。
一様にいえる彼らの手法は、当事する現場のあら探しから入り、正当(そう)な方法論にもとづいて、改善を促す。当然ながら彼らにも(それなりの)経験がある訳で、指摘のポイントは当たらずしも遠からずであり、改善の方法論についても学問的な裏付けがあるものや、局所的にみれば正しいことが多い。
ただし、あまりにも”現場”の知識がなさすぎるのだ。平たく言えば”頭でっかち”なのである。世の中、理論・理屈だけで事がすめば何の苦労もない訳で、学者天国ができあがったとておかしくない訳で、現実、そうなっていないという事は、理論・理屈以外のプラスαの「何か」がいるのである。それが”現場”の知識なのだ。その”現場”の知識は、月に一度や二度の家庭訪問的なヒアリングであられるものではない。故に頭でっかちな理論・理屈先行型のナルシスト的なコンサルティング内容になるのだ。

■コンサルタントとしてのブランドプロミス
我々の様に、システムやサービスの開発がメインの仕事には、お客様の要求通り・要望期日通りにちゃんと動くモノをお客様にお渡しする。という使命がある。モノが完成していない、仮に完成しても正しく動作しない、仕様書で規定された効果がでていないといった場合には、当然ながら作業対価はいただくことは出来ない。
コンサルタントさんはどうか?その多くは顧問契約なのではないだろうか(この部分については深く知らずにモノ申している可能性があります)?当然ながら、○○分析レポートとか、○○報告書といった類の報告義務はあるだろうし、ユーザから求められた(契約上盛り込まれている内容の)納品物の納入を怠れば検収があがないのは当然のことであるが、コンサルティング内容の導入(実践)結果をコンサルタントが問われることは非常に少ないのではないだろうか?もっと簡単に言えば、コンサルティングという”行為”に対する”責任”の度合いは非常に薄い様に感じられる。ということだ。
最終的に失敗した(成果がでない)のは、実践方法に問題があるからだ。とか、「当然のことなので」あえて触れてはいなかったけどこの部分に関しても問題がある、などと後になってから平然とモノぬかす輩も多数見てきた。責任逃れも甚だしい限りだ。勿論、すべての人がそうだと言っている訳ではない。あくまで過去に関わった自称コンサルタントを対象した話しだ。
こんな自称コンサルタントとは一線を画すためにも、優秀なコンサルタントさんには何かしらブランドプロミス的なものを掲げてユーザと接してほしいと思う。ユーザをその気にさせて、浮き足立たせるだけのトークで虚構の世界を夢見させても、お互い長続きはしない。
自分自身が責任を負うことの出来る範囲を明確にした上で、相手に対してどの様な効果や特典を与えることができるのか?といったことを最初に明示すべきではなかろうか?

ここにきて言うのもなんだが、僕もシステムコンサルタントを名乗ることがある。名乗ることがあるというのは、相手ユーザや、受ける業務フェーズによってはエンジニアとしての色が濃くなる場合もあるからだ。また、散々なこき下ろしは、自分への戒めも込めて書いたつもりだ。
我々の様な専門性の高い業種であればあるほど、もっともらしいゴタク(理論・理屈)を並べてコンサルティングを行うのはある意味簡単なことである。ただ、そんなことをして高価なシステムを導入していただいたとて、身丈にあったシステムでない限り、決して効果はでない。あえて出来ないことも明確かつ正確に伝え、システムでできること、そのシステムを構築・導入するにあたって我々ができることの線引き・責任範囲を明示することが、我々の義務である様に思う。決して知識先行、自己本位であってはならない。

自分自身も地に足をつけて、またユーザさんにも地に足をつけていただいて、現実を現実として捉え、真正面を向き合いながらお互いの商売を展開していきたいという思いがある。

自分にもよきコンサルタントとなれる日がくるのだろうか?

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仕事で非効率だと思うことランキング

仕事で非効率だと思うことランキング なるものを発見。
1. PCの処理速度が遅い
2. 社内システムが統一していない
3. 提出書類が多い(デジタル化してない)
4. 仕事の指示が曖昧
5. 朝礼・会議が長い
6. 机の上が汚い
7. プリンターが故障しやすい
8. 社内情報が更新されない
9. 突発的な依頼が多い
10. やらなければいけないことを先延ばしにする
11. 社内会議が多い
12. 上司のスケジュールが分からない
13. ミーティングスペースがない
14. 仕事の優先順位がつけられない
15. 休憩時間がほとんどない
16. 食堂が混雑する
17. 上司のITリテラシーが低い
18. トイレの数が少ない
19. 秘密保持に関するルールが多すぎる
20. 仕事に締切がない
こうして見てみると、個人の意識改善だけで何とかなるもの、個人の努力だけではどうにもならないものがある様だ。
しかし・・、第一位の「PCの処理速度が遅い」というのは今時、致命的ではないだろうか?特に我々の場合、PCは身体の一部と化している。最大の仕事道具がこんな状態ではあがる効率もあがらない。
機械の処理能力の問題でロスする時間が、問題の多くを占める訳ではなく、我々の様な知的労働の部類に入る職業の場合、外的要因により自分の思ったペースで仕事が進める事ができないといった場合、大きな精神的苦痛を強いられる。それによって二次的に引き起こされるパフォーマンス低下の方が大きな問題だ。精神的苦痛が積み重なった場合、直接的にはリンクしそうにない様な、新たな問題に発展する可能性すらある。
このラインキングをみて思い当たる節のある会社は、早急に問題を改善すべきだろう。
ただ「机が汚い」だとか「仕事に締め切りがない」だなんて、そんなこと自体を問題にあげることそのものが問題な様に思えたりもする。自分でなんとかできるでしょ、そんな事くらい。わかってるんだったら、自ら改善すればいいだけのことなのに、「問題だ」「問題だ」と言ってるだけでは、そらぁ~何も解決しないでしょ。「火事だ」「火事だ」と叫んでいるだけでは火は消えません(自然鎮火することもあると言えば、それで話しは終わってしまうが)。自ら消す努力が必要だ。
ちょっと気になるものもある。「会議が多い」というのは、行われた会議の内容が薄っぺらいものであるが故に、「無駄な会議だ」と思っているからであろう。であれば、会議が多いことではなく、会議の内容が薄いことに問題があるのではなかろうか。自身でも、嫌という程経験しているが、配布資料の内容も黙々と読み上げるだけの会議とか、意見を求められても誰も何も発言しない様な、お通夜の様な会議であったりとか。はっきり言って、こんな会議であればやらない方がマシである。やればやるほどモチベーションの低下を招いてしまう。やるからには活気ある議論を展開できる会議にしないといけない。他人にばかり矛先を向ける気はないが、どうもみんなミーティング下手な様な気がする。1社に1人、田原総一郎氏の様なコーディネーターがいれば、もっと会議が活性化するのではなかろうか?それは言い過ぎにせよ、会議を上手に進行するスキルは、ビジネスマンにとって必須な様な気がしてならない。
他にも、まぁ、自分で見ていてギクッとするモノがあるが、現時点では改善出来そうもない事なので、この場では真摯に受け止めておくにとどめたい。。
ちなみに、その問題は「トイレの数が少ない」である。(・◇・)ゞ

社会の窓

今日は社会の窓について。
昼食帰りの何気ない会話で、ふと社会の窓にふれることに。
誰しも経験があろう、社会の窓の閉め忘れ。
こんな話題になると、ついつい自分自身のものを確認したくなってしまうのは、僕だけではないだろう。
会話中にしっかりと確認しました。大丈夫でした。よかった。
そういえば・・
先日、誤って(本当です!)女性専用車両に乗り込んでしまった。会社の女性社員と一緒に外出してた時のことである。同行していた女性は、僕が乗り込もうとしている車両が女性専用車両であることに気付き、僕と一緒だったため気をつかってくれて、1つ手前の車両に乗り込んだのだが、それに全く気付かずに僕だけが女性車両に乗り込んでしまったのだ。
乗り込んだ後、クーラーの風を受けながらホッと一息ついてると、その女性が隣の車両からしきりに手招きをしている。降車駅は二駅先。さっきまで歩きながらさんざん喋っていたので、続きは降りてからでもいいだろうと、その場をやり過ごす。
すると、ツカツカと僕の横まで来て「ここ女性専用車両ですよっ」と、隣の車両に強制連行される。
はい。やってしまいました。
少々言い訳させていただくと、”わかりにくいんですよ!!!”。
内装を真っピンクにしていただくとか、なんかしていただかないとっ。
こんな所で社会の窓が開いていなくて助かった。っと今、つくづく思った次第である。また女性の気遣いは細かいなと、あらためて関心しました。感謝です。
ちなみに、社会の窓の語源を調べてみた。
戦後に始まったNHKラジオの番組名に由来する。正式名は「インフォメーションアワー・社会の窓」といい、納税・刑事告訴・石炭・節電など、ありとあらゆるテーマを掘り下げて鋭くレポートしていく社会派番組で、本当は隠されている部分だがその中を覗くとその人間の大事なものが見えるという発想で、いつの間にかズボンのファスナーをそう呼ぶようになった。
はてなダイアリー
だそうである。
また一つ雑学が増えた。
ウィキペディアもあわせて参照

思いやり

僕は日々の生活に於いて、子供に対してあまりあぁだこぅだと言うことはないが、一点、他人に対する(当然ながら家族も含まれる)思いやりを大切にする様にということは、事ある度にふれている。
小さなことであれば
・冷蔵庫の氷を使ってなくなったら水を補給しておく
・玄関の靴が乱れていたら履きやすい様に揃えておく
・洗濯物が取り入れられていなければ自分から進んでとり入れておく
・洗い物がたまっていたら自分から進んで洗っておく
などなど。
自分がされて嫌だなと思うであろうことを他人に対してしないのは当たり前、自分がこうされたら嬉しいだろうなと思うことは率先してどんどんする。
自分の幸せばかりを考えている者は、いづれ不幸せになる。常に他人の幸せを優先できる者は、自分も幸せになれる。
ということを伝えている。
これは何も子供だけに限った話しではない。大人にだって言えること。というか大人に対して言うべき事なのかも知れない。新聞紙面を賑わしている事件・事象、世の中あまりに自分本位が目立ちすぎている。こういった類の人達のモノの判断基準には自分の損得しかないのだろうか。あまりに寂しい大人達だ。
哀れな人たちと割り切って見てしまえばそれだけのコトなのだが、自分に関わる人達はそうであってほしくないし、そうならないでほしい。
私利私欲に溺れる人間は(いろんな意味で)必ず破滅する。そんな人間には何の魅力もないからだ。
家族も会社組織も、この人(達)となら・・と思える様な関係を築いていきたいし、継続していきたい。
人間は十人十色で価値観も多様で、何が幸せかは人それぞれではあるけれど、自分本位に思考を組み立てるのではなく、他人を思いやる気持ちを大切にできる人が多く集まってくれればいいな、と思う今日この頃である。

大商ベンチャークラブ特別講演会

大阪商工会議所ベンチャークラブの特別講演会に行ってきた。

つい先日、大阪商工会議所に加盟したのだが、近々に楽天の三木谷氏の特別講演会があるので・・との案内をうけ申し込んでおいたのだ。

講演会なるものに参加したのは初めてのことだ。

今までこの類のイベントにはまったくといっていいほど興味が沸かなかったが、何事も経験すべしとのことと、三木谷氏がどんな人物なのか?ということに多少の興味もあった。

講演のテーマとしては「ベンチャーが日本・世界を変える」であったのだが、実際の内容としては、ここまでどんな想いで楽天を引っ張ってきたか?をベースに楽天の軌跡に終始していた。

“教祖”降臨―楽天・三木谷浩史の真実
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おすすめ度の平均: 3.5

3 食い足りないがエピソードはおもしろい

2 いまひとつ

3 三木谷氏あまり登場せず?

5 タイムリーな本

5 確かに読ませる内容でした

書籍等では明かされていない何か?を多少期待していたのだが、残念ながらあまり強く惹き付けられたネタはなかった。話しの中で、2~3発程ギャグ(だと思う)を放っていた(様である)が、哀しいかな滑ってた。やはり大阪人は笑いに対する免疫力が高い。この点については、是非、次回リベンジしていただきたい。

楽天の研究―なぜ彼らは勝ち続けるのか
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おすすめ度の平均: 4.0

4 2004年の本であるが、楽天の基本戦略の理解に有用

2 人物中心で経営や技術の記述には不満がある

5 バンカーの魅力を感じる本

4 楽天のバックボーンを知る

4 楽天の光と影

まぁ、成功企業といえども、その軌跡をまにうけて実践したとて、自分たちが成功する訳がないのはあたり前のことなのだが、マインドは十分に学べるところがある。話しを聞いていて、彼は非常に真面目で真っ直ぐな人なんだということは良くわかった。マスコミなんかでは派手な部分ばかりがクローズアップされたりもしているが、陰に隠れた部分では地味なこともやっている(た)んだなと。

彼自身も話していたが、日本文化はどうも妬みの文化であったりする所があって、出る杭は徹底的に打たれたりする。そんな国文化が、ベンチャー企業の成長・グローバル化を阻んでいる感も否めない。

IT関連ベンチャーの圧倒的多数は海外発である実情からみると、楽天の成長は素直に素晴らしいと思う。日本からこの様な企業が出ることはある種の誇りでもある。今後、日本から楽天に続く多くのITベンチャーが育って欲しいと思う(すっかり他人事の様だ)。

今回は非常にいいタイミングで、いい機会をえた。そして食わず嫌いであったことにも気付きをえた。それだけでも十分な収穫だったのではないだろうか。。

属人性の排除

先日の社内打合せの場で、会社の幹部となる者には業務の中から属人性を排除し、徹底した仕組化をできるスキルを望む、と言う話しをした。

自分自身もそうなのだが、エンジニアというのは職人の様なもので、これは(ここは)自分にしかできない・・等といったことを誇らしげに思ったり語ったりする。ある意味、他人より秀でた部分でもあるので素晴らしいことではあるのだが、組織としてみた場合、これはリスクにもなりうる。あの人が作った部分はあの人にしか治せない。といったことが起こるからだ。

実際、ソフトウェア(プログラム)の引き継ぎ作業は思った以上に困難で大変だ。
本当の意味での職人技をもって作られたモノであればまだマシではあるが、完全に自己陶酔しきっているだけの独りよがりな開発資産を引き渡されるのは、たまったもんではない。過去にこの様な独りよがりな自己陶酔型エンジニアの産物をはいて捨てる程見てきている。

今のご時世、エンジニア一人で組み上げることのできるシステムなど、ほぼ存在しない。全般的に大規模化、複雑化してきているのが実情だ。

求められるのは個々の職人技ではなくチームワークであることが多い。
職人ばかりで構成されたチームを組むことができるのであれば、それはそれで素晴らしいことではあるが(衝突がたえない様な気もするが)、そんな職人ばかりを集めるのは並大抵のことではない。金も労力もかかる。いや、金や労力を惜しみなくはたいたとて集まらない可能性もある。

となると、職人の技をシェアしたり(それが出来るのであれば)、あまりに個人依存度が高い部分は排除したり必要がある。でないとトータル的に見た場合、パフォーマンスが著しく劣化するからだ。自分の能力・技に自己陶酔されていては困るのである。

まれに「これは俺の努力の集大成だ、おいそれと公開はできない」等といった感じで、情報隠蔽したりする輩にもであったりするが、それは大きな勘違いである。折角、自分の強みを把握できているんだったら、その部分は率先して公開しシェアすべきだ。シェアすることによって、周りのレベルも向上し、巡り巡って自分に返ってくる。多くの情報をえるためには多くの情報を公開すること。与えれば与えられるのだ。

今、社内の評価制度も整備しているところだ。
組織に於いて、個人の優れた能力が正当に評価されることが大事なのは言うまでもないことだが、その能力を如何に広くシェアできているか?またシェアする仕組みを考えているか?その仕組みを実践できているか?といった部分を大きく評価できる様な仕組みを組み入れたいと思う。

個の強みがシェアできれば組織が強くなる。
強い組織を創り上げたいと思う。。

自己実現と自己投資

机の整理をしていて、以前に受けたセミナーの資料を発見した。

その資料をペラペラ捲っていると「マズローの欲求段階説」に関するメモが出てきた。改めて以下に整理してみる。

1. 生理的欲求(physiological needs)
 生理的体系としての自己を維持しようとする欲求。

2. 安全・安定性欲求(safety-security needs)
 安全な状況を希求したり、不確実な状況を回避しようとしたりする欲求。

3. 社会的欲求(belongingness-love needs)
 集団への所属を希求したり、友情や愛情を希求したりする欲求。

4. 自我欲求(esteem needs)
 自己尊厳を希求する欲求であり、具体的には、他人からの尊敬や責任ある地位を希求したり、自律的な思考や行動の機会を希求したりする。後者は、とくに自律欲求(autonomy needs)として、独立に考えられることもある。

5. 自己実現欲求(self-actualization needs)
 自己の成長や発展の機会を希求したり、自己独自の能力の利用および自己の潜在能力の実現を希求したりする欲求。

最上位の欲求である「自己実現」に向けて、人はどんな自己投資をしているのだろうか?

よく「もっと給料が多ければ語学教室とかにも通えるんだけと」とか「お金がないから本を買うのも苦しい」といった声を耳にするが、そんなことを言っている様では、一生この欲求は満たされることはないだろう。環境のせいにしたところで何の解決にもならないし、現在のその環境を生み出しているのは、過去にどの様な自己投資をしてきたのか?というへの結果でもある訳で、何処かのタイミングで自己投資しない限り、現在の状況からはい上がることは不可能なのである。

それを多くの人は、現在の環境を理由に自己投資を躊躇する。
だから自分の置かれる環境は変化しない。
故に自己実現はありえない。

この循環を理解し改善しないかぎり、最高レベルの欲求である自己実現はありえない。

前職の時に、資格取得制度なるものが存在したが、どうもうまく機能していなかった様に見受けられた。それは何故か?
本来、この制度は「自己投資を会社がサポートする制度」であるはずなのだが、この制度ありきの活動(制度がある(お金が貰える)ら資格をとる、制度がなくなったら勉強しない)になってしまっており、本来の意味での自己投資という行為に結びついていなかったがための結果であろうと推測する。

大事なのは自発的な自己投資意欲ではないだろうか。
苦しいながらも、その状況を抜け出そうと前向きに努力(自己投資)する人に対しては、最大限のサポートをしたいと思う。自己実現の為に努力を怠らない人というのは、会社にとっての強みでもあるし、その強みを伸ばすためのサポートをすることで、会社も大きく成長できるからだ。

会社を運営する立場として、会社という組織を通じて多くの人が自己実現を達成してくれれば、これほど嬉しいことはない。そのためにも、自己実現に向けた自発的・積極的な行動を促す様な風土造りに力を入れたい。

 
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噂・陰口・愚痴・ひそひそ話し

人の噂話し・陰口・愚痴・ひそひそ話しは、聞いているだけで不愉快になる。

そもそも話しの場に居合わせていない人を話題にとりあげるコト自体、本来気が引ける。こういった行為の延長線上に虐めなどが存在するのだろう。

できることなら、こういった会話には参加したくないし、場にも居合わせたくない。
とはいえ、何故かえてして対話の参加者以外が肴になるケースが多い様に思う。し実際そうだ。酒が入ればその度合いは更に加速する。

自分が他人の噂話しや陰口の場に居合わせるなら、自分が言われている方がマシだと思う。なんか気持ちが荒んでいく様な気がしてならない。けれども、何故かそんな場に居合わせてしまう。非常に悲しい・・哀しい。

本来、陰口なんて卑劣な行為だ。面と向かってモノ申すことのできない、ちんけな人間のすることだ。言いたいことがあれば本人に向かって言えばいい。陰で物言いを付けて、周りに居合わせた人間に同調を求める。。こんなことに何の意味があるのか。人間としての品格を落とすだけの行為だ。

愚痴も同じ。ぶ~たれてる暇があったら前向きなことに頭を使えと言いたい。愚痴をこぼしたところで状況が改善する訳ではない。哀れになるだけの話だ。改善しなければいけないのは自分自身だ。他人は「ふんふん」と聞いてはくれるだろうが、本当の意味で手は差し伸べてはくれない。

こういった行為を繰り返しているうちは、人間としての成長は見込めない。成長どころか品格・品位を落とすだけの良からぬスパイラルに陥るだけのことだ。

自分の周りからはこういった行為を徹底的に排除していきたい。

 

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約束を守るということ

約束を守るということについて、ふと思い出した事がある。
お客様との約束の時間に遅れそうになったからだ。
幸い遅れずにすんだのでことなきをえた。

以前、船井総研さんのメルマガか何かで目にした様な記憶があるのだが、約束には二種類のものがあるという。

・他人との約束
・自分との約束

他人との約束を破るとどうなるか?

・評価が落とす。
・信用を失う。

など、自分へ確実に跳ね返ってくる。
それと比べ、自分との約束を破った場合は?

・自分にしかわからない事なので、自分に言い訳すればことはすむ。

他人との約束事を守ることの重要性は言うまでもないことだとは思うが、自分との約束を守ることも同様に重要であると思う。

自分自身も含めてであるが、人間なんて弱いモノで、よくない結果がでると何やかんやといい訳をしてしまう。そのいい訳の矛先も、自分以外に向いていることが多い。

これでは人間としての成長はありえない。
確かに外的要因による結果であったとしても。。結局の所、それを先読みできなかった自分に原因があるのであって、外的要因そのものが悪いのではない。

自分自身への約束をして、それを実現するために自ら努力を怠らないこと、そして言い訳しないことが、自身を向上させる上で重要なことだと思う。

最近、色々な書物を読みあさっているので何処で何を読んだのかが定かではないけれど、自分との約束を守るための手段として、その内容を他人に公言する。という様なことも書かれていた。

確かに、自分との約束を自身の中にしまいこんでしまっていたら、悪しき結果を招いたときに言い訳するのはたやすい。そうならない様に、自身との約束を他人にも知ってもらうのだ。

そうすることで、いい訳できなくなるとまでは行かなくとも、いい訳しずらい状況は作り出せる。ある意味、自分を追い込むのだ。

他人との約束、自分との約束、どちらも重要だ。
そして、自分自身、どちらの約束も守れる人間でありたいと思う。

 

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メール文化

基本的に私はメールが嫌いだ。
その最もたる理由は相手の顔色が見えないからだ。
それに加えて自分に文才がないので、真意が相手に伝わったかどうかが怖いのだ。
自分自身もそうなのだが、文面の解釈において、メールを目にした時点での感情や精神状態に左右される部分も少なくない。
同じ様な表現方法であるにもかかわらず意図がねじ曲がって相手に伝わる事がある。
そもそもメールなんて重要事項の伝達手段としてはふさわしくないと思う。
やはり対面での会話に勝るものはないだろう。
色々なコミュニケーション手段に順列をつけるとしたら、メール<手紙<電話<対面の順番となるだろうか?
自分自身、コミュニケーション手段として色々な感覚をえることのできる(相手を噛んだり舐めたりはしないので味覚は関係ないけど)、対面での会話を重要視していきたい。
昨今、あまりにも軽率にメールという手段が用いられていると思う。
前の職場でもそうだった。
ほんの1㍍前に座っているのに、一々メールだ。
そんなに喋るのが嫌なのか?そんなにキーボードを愛しているのか?人が怖いのか?
自分の真意が相手にねじ曲がって伝わる事の方が恐ろしい事ではないのか?
コミュニケーションとは何か?もう一度よく考えてみようっ!

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